About私たちについて

楽焼和楽について

About us ご挨拶

当窯代表、川嵜基生です。

作り手である私みずからが情報発信することにより、多くの方に楽焼の魅力をお伝えする事ができればと思い、
2016年にWebSiteを開設いたしました。この度全面的にリニューアルいたします。
より多くの方に、楽焼を知っていただけますよう、願っております。

当窯では、以下のような考えかたを大切にして、日々制作に取り組んでおります。

  • 挑戦すること:新しい分野、経験のない領域に、挑戦することで、幅を広げていきたい
  • 育てること:挑戦して、得たものを、しっかりと育てていきたい
  • 守ること:これまでに積み上げてきたことや新たに獲得したことを、しっかりと守っていきたい

大切なことを失うことなく、未来に引き継いでいけるよう、この先も精進してまいります。

楽焼窯元 和楽 当主 川嵜基生2023年1月

楽焼和楽について
楽焼和楽について

What’s RAKUYAKI楽焼とは

ここでは、「楽焼とは?」という話をさせていただきます。

楽焼は、茶道のお道具として、桃山時代後期に誕生した焼物です。茶人である、千利休が侘茶を具現化するための茶盌として、瓦職人である長次郎が生み出した焼物が楽焼です。聚楽第を建造する際に土中から掘り出された土(聚楽土)を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされています。

茶道のお道具として発展してきた、楽焼は、とても精神性の強い焼き物です。装飾を極力排して、成形と釉薬だけで勝負する。また、一品一様という考え方が強く根ざしており、制作工程の多くで、大量に生産できないような工程がございます。

お茶の席では、楽焼茶盌は、他の茶盌とは別格の扱いとされ、とても大切なお道具として、扱われて参りました。黒楽と赤楽がその代表で、一般的な焼物と比べて、焼成時間が短いのが特徴です。

楽焼和楽について

黒楽茶盌

黒楽茶盌

黒楽茶盌

今でも、多くのお茶会で、正客へのお茶盌として使われる事が多いのが、黒楽茶盌です。
お茶盌は、一品一様の考え方の元、一盌一盌、丁寧に成形していきます。手に馴染む形状であることは大切です。また、視覚で感じる重量と、実際の重さが付随することは、お茶盌には大切な要素だと考えております。重く見えるお茶盌は、しっかりと重さがあるように、削っております。
また、釉薬の主成分は、加茂川石もしくは貴船石と呼ばれる、鉄分を多く含んだ天然石です。天然石を粉状に砕き、幾重もお茶盌に塗ることにより、艶や厚みのある、独特の釉性状をえることができるのです。
楽焼は、引き出しと呼ぶ焼成方法で焼成します。黒楽の場合、1200度程度に熱せられた窯に、お茶盌を入れ、5~10分後に窯から取り出す、楽焼独特の焼成方法です。作り手の意思で、焼成温度や焼成時間を決めることができるので、釉薬の熔け具合を調整することで、楽焼独特の柔らかい肌触りを得るのです。

赤楽茶盌

赤楽茶盌

赤楽茶盌

黒楽茶盌と同じく、赤楽茶盌の成形においても、多くの方の手と馴染むように、一盌一盌丁寧に成形します。
元々赤楽茶盌は、鉄分を多く含んだ土(赤土)を用いて制作しておりました。素焼きの後、透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成することで、淡い赤色の発色を特徴としておりました。現在は、より鮮やかな赤色の発色を得る為に、黄土と呼ぶ鉄分濃度の高い土を、土の表面に塗ることにより、赤色の発色を得ることが一般的です。800℃程度という焼成温度は、今も昔も変わりません。

懐石食器

懐石食器 懐石食器

懐石食器

楽焼食器は、茶懐石の器として発展してまいりました。昨今は、会席料理の器として、多くの料理人の方にご愛用いただいております。

懐石食器の制作は、お茶盌の制作とは考え方が異なります。楽焼茶盌は、一品一様、同じものは複数存在しないことが是とされますので、手捻り制作を基本とします。食器の場合は、5組や10組単位で、形や大きさが揃うことが求められます。そのため、電動ロクロや石膏型などを用いて、サイズが揃うような技法で制作します。
また、菊型 / 熨斗型 / 鶴翼 / 宝珠 / 割山椒など、季節感漂うる装飾を行う点も、お茶盌制作と異なる点です。赤楽/黒楽以外にも、オリベ釉/アメ釉/黄色などを用いて、華やかにお料理を引き立てる器を制作しております。

既存の楽焼食器の再制作や、料理人のご希望に即したオーダーメイド制作にも取り組んでおります。そのようなご要望がございましたら、問合せください。

楽焼和楽の沿革

Our History 楽焼窯元 和楽について

当窯初代が、楽焼窯元『短冊家』を開きましたのは、今から遡ること約百九十年、江戸時代末期文政年間でございます。名を七左衛門と申し、京都祇園八坂神社鳥居前茶屋『短冊楼』の主でございました。当窯の面する下河原通りは、当時は八坂神社表参道であり、『短冊楼』はそこに所在した茶屋でした。その主人がどのような気持ちで、当窯の前身「短冊家」を興したかは定かではありませんが、当初は茶道具ではなく、鍋や急須、酒器などを制作していたようです。

当窯二代となる七兵衛は、楽焼の研鑽に努め、『楽焼の短冊家』として名を馳せると共に、その後現代まで続く当窯の礎を築きました。

大正七年秋、東郷平八郎元帥ご入洛の際、当工房に御来遊賜り、『和楽』なる直筆の号を拝領いたしました。当窯四代川嵜庄七はこの栄誉をたいそう喜び、屋号を『和楽』と改名させていただきました。その後は『楽焼窯元 和楽』として、今日まで親しんでいただいております。

昭和四十四年から平成二十八年までの48年間にわたり、当窯七代にあたる川嵜康男が当主を努めておりました。

平成二十八年六月より、川嵜基生(七代当主長男)が、当主を努めております。歴史ある窯元として、これからも楽焼の伝統をまもり続けてまいります。

当窯歴代当主

初代
七左衛門
生没年
不詳
二代
七兵衛
生没年
不詳
三代
共和
誕生
1823年2月15日
没年
1899年10月28日
四代
川嵜 庄七
誕生
1849年4月8日
没年
1923年2月2日
五代
川嵜 吾一(庄七)
誕生
1886年1月3日
没年
1942年2月23日
六代
川嵜信蔵
誕生
1904年3月1日
没年
1969年1月29日
七代
川嵜康男
誕生
1936年1月25日
襲名
1969年
八代
川嵜基生
誕生
1972年7月18日
襲名
2016年6月1日

当窯、現代表について、詳しくはこちらをご覧ください。

楽焼和楽の沿革