当窯について

当窯初代が、楽焼窯元『短冊家』を開きましたのは、今から遡ること約百八十年、江戸時代末期 文政年間でございます。名を七左衛門と申し、京都祇園八坂神社鳥居前茶屋 『短冊楼』 の主でございました。当窯二代となる七兵衛は、楽焼の研鑽に努め、『楽焼の短冊家』として名を馳せると共に、その後現代まで続く当窯の礎を築きました。

大正七年秋、東郷平八郎元帥ご入洛の際、当工房に御来遊賜り、『和楽』なる直筆の号を拝領いたしました。当窯四代川嵜庄七はこの栄誉をたいそう喜び、屋号を『和楽』と改名させていただきました。その後は『楽焼窯元 和楽』として、今日まで親しんでいただいております。

昭和四十四年から平成二十八年までの48年間にわたり、当窯七代にあたる川嵜康男が当主を努めておりました。

平成二十八年六月より、川嵜基生(七代当主長男)が、当主を努めております。歴史ある窯元として、これからも楽焼の伝統をまもり続けてまいります。

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当窯歴代当主

初代: 七左衛門 生没年 不詳
二代: 七兵衛 生没年不詳
三代: 共和 誕生:1823年2月15日 没年:1899年10月28日
四代: 川嵜 庄七 誕生:1849年4月8日 没年:1923年2月2日
五代: 川嵜 吾一(庄七) 誕生:1886年1月3日 没年:1942年2月23日
六代: 川嵜信蔵 誕生:1904年3月1日 没年:1969年1月29日
七代: 川嵜康男 誕生:1936年1月25日 襲名:1969年
八代: 川嵜基生 誕生:1972年7月18日 襲名:2016年6月1日

作陶に際して

楽焼茶盌の制作に際しては、不均一を生み出す作業工程が多い。
不均一とは?

例えば、成形の工程。電動ロクロを使えば、大きさやサイズの揃ったお茶盌を、多数制作することができる。にも拘わらず、あえて電動ロクロは使わないで、手ロクロで制作し、お茶盌全体を削っていく。
また、釉掛の作業も然り。これも刷毛を用いて、幾重にも塗っていく。どうしても、薄い部分と厚い部分が生まれてしま。均一に施釉する方法は他にいくつもあるのだけれど、あえて刷毛塗りをすることにより、不均一を作り出す。
窯作業も同じ考え方だ。大きな窯で、一度に焼成すれば、均一な品を焼成できるのだけれど、あえて引出という技法で焼成する。釉薬の調合を揃えても、焼成するたびに、異なった釉性状となる。きっと、窯の持つ熱量や、窯内部の酸素量、空気中の水分量など、私自身ではコントロールし難い要素により、焼き上がりが決まるのだと感じる。

楽焼という焼物の原点には、唯一無二という考え方が強くあり、同じお茶盌が複数生まれることを許さないかのようだ。

私自身このような考え方は、とても性に合う。同じものをたくさん作るのではなく、一つ一つ相異なるお茶盌を作り出していきたいと思う。